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お別れ

2017.05.15 Monday

※本日の記事は、久々に個人的な日記も含まれておりますので、あまり重要な記事ではないです。

出張日程などの重要なお知らせは、改めて書きます※

 

この春の東京出張ご案内が大幅に遅れております。

お待ち下さっている皆様には、ご連絡もできておらずで本当に申し訳ございません。

 

唐突ではございますが、先月、父が他界いたしました。

父の強い希望の為お知らせが遅れました事、皆様にはどうぞご理解いただけますように。。。

ようやく昨日、無事四十九日の法要が済み、忌明けとなりました。

 

大変急なことでしたので、納期を遅らせていただいたり、打合せ日をこちらからキャンセルさせていただいたり、

気が動転してご指定の発送日を間違えてしまったり、メールのお返事がすぐに出来なかったりと、

直接にご迷惑をおかけしてしまったお客様方には、この場をお借りしてましてお詫び申し上げます。

 

父の死因は、すい臓癌でした。

享年72歳。

顔も性格も父にそっくりだった私です。

絵に書いたような『ザ・昭和な父親』で、大変厳しく、そしてその厳しさの何倍も家族想いの父でした。

 

まあ、私をご存知の方でしたら想像しやすいと思うのですが、

そのもっともっと上を行く変人でした。

生前は、家族や親戚からも変わり者扱いされておりまして、”それでも我が道を行く”という人でした。

 

しかしながら、最後は見事でした。

武士のように格好良かったのです。

私はあらためて、「この父の娘でよかったなあ」と実感しました。

 

健康にはとても気を使い、いつも元気だったのですが、

「胃が痛い。最近お酢を毎日1杯飲み始めたから、胃が荒れたのかな」と病院へ行ったら、末期のすい臓癌だと診断され、緊急入院。

医師から、最終ステージだと宣告されました。

しかしそれまで健康でしたので、私は全く信じられず、”そうは言っても2〜3ヶ月は猶予あるでしょ”と勝手に思い込んでいました。

それは甘かったです。

入院後、6日目に息を引き取りました。

父は自分の最期を感じ取っていたのか「みんな覚悟してくれ。ワシは覚悟ができている。あと2週間も生きられないであろう」と、

最後まで食欲が旺盛でしたので好物をたくさん食べ、

家族を招集し最後の晩餐までしましたし、家族間での引き継ぎの色々を冷静に指南し、

遺言をしっかり約束させられ、

「お母さん(父の妻=私の母)のことを最後まで守り切ってあげられないことだけが無念だ、皆でお母さんをよろしく頼む。

他は一切思い残すことはない。もう治らないことはわかっているから、ワシに延命治療は不要だ。

残したお金は、すべてお母さん(只今療養中)のために使ってくれ。頼む。」

とだけを願い、意識がありながら、先に心肺が停止し、永眠しました。

 

その遺言のひとつに

「入院のことや葬儀のことは、すぐには…親戚やご近所に一切知らせないで欲しい」とのことがありました。

なので、入院の看病も、葬儀一切も、私を含めた父の子3人+その妻と夫だけでひっそりとさせていただきました。

知らせない理由のひとつには、香典などで気を遣ってもらいたくない、というのもあったようです。

本当の深意はわかりませんが、本人と固い約束をしたのでそうさせていただきました。

 

しかし今、こうやってインターネットに載せる記事を、私は書いています。

もしもご近所さんが見ることだって、確率はゼロではありません。

それを承知で、一旦の区切りがついた本日、敢えて書かせていただきました。

ずっと隠し続けることはできませんし、私も仕事の遅れが切実です。

ウソで塗り固めることは私には向いていないですし、長年、このブログでは正直な心の内面をいつも書いてきておりました。

なので父との約束も果たしましたし、この先も私らしく正直にいこうと思います!

もちろん順次、親戚やご近所さんにも直接報告して参ります。

「なんでもっと早く言ってくれなかったの!!」と、お叱りを受けそうですが(苦笑)。

 

父は名古屋市内のみで一生を暮らしましたのですが、

最後の時、私は(名古屋市内ではないですが)近くに住んでいたこと、本当に良かったと思いました。

入院中も一緒に外出したり、病室で談笑したり(亡くなる前日まで本当に元気だったのです)、

全く悔いのない時間を父と一緒に、最後を過ごせました。

(そのために、お客様にはご迷惑をおかけしてしまいましたけれども…)

 

そして、あんなに厳しかったのは”なによりも家族を守りたいという愛情”だったんだな、とはっきりと最後にわかりました事は、

感謝の気持ちしかありません。

危篤はまだ先だと油断しながらも、奇跡的にたまたま家族皆が病室に滞在していた午前中、

父が目を閉じながら汗が出始め、手の先が紫色に変わり氷のように冷たくて、フルマラソン走者のように息が荒くなってきた時、

家族全員で父の手を握り「苦しいの?」「お茶飲む?」「ここの汗拭くね」「頑張って」

「今みんなここにいるよ」「お父さん、ありがとう」「約束守るからね」「本当に感謝してるよ!」と声で励まし、

父は声にならない声で「ん…ん…」と意思表示や返事をしてくれ、

その最中で息絶えました。

 

今回唐突に書いたのは、私にとっても父の死は突然の事だったからです。

まだ今でも信じられないな。。。

思春期の頃はわかりあえなくて、私は家を飛び出してそれから今までずっと一緒に暮らすことはできなかったけど、

大人になってからは本当に仲良しで、毎日のように電話で喋っていたしなあ。。。

友達にさえ相談できない悩み事とか、仕事のことも恋愛のことも、

大人の男目線ならではの本質的アドバイスをズバリとしてくれてたし。

あと4年くらい、せめて平均寿命の80歳近くまで生きてると勝手に思い込んでいたけれど、

人生というのは儚いなあと常々感じます。

 

余談ですが、父は若い頃から全世界の宗教を研究しており、終盤は仏教に辿り着いたそうです。

そこで常々「諸行無常」について話しておりました。

私はまだ無宗派ですので現在でも勉強中の身ですが、最愛の父の死を受け止める心はすでにできていたのかもしれません。

〜〜人は必ず死ぬ。。。

昨日と今日、今日と明日は、目では同じように見えても、必ず違う。〜〜

失恋する度に何日も仕事が手に付かないような乙女心も持ち合わせる私なのに、

父に対するお別れは、いくら急であってもすでに受け止められる準備は整っていたのだと思います。

もちろん急すぎて驚いてはいますが、心がとても穏やかで爽やかであります。

常々そう育てて教えてくれた父の偉大さと、心からの敬意と感謝のみが、今の心境です。

 

私もこうやって死ねたら、、、

生きるということは、死ぬ時にわかるんだ。。。と実感しました。

 

子供が生まれる時、親からの最初のプレゼントが”名前”だと言われますよね?

私はこのプレゼント、すごく私らしくて誇りに思います。

だって「直美」ですよ?

お洋服の修理屋である私の『しくす』って、私の人生そのものではないですか!!

これからもそのプレゼントを、ずっとずっと大切にしていきたいです♡

 

次回の東京出張は、6月のどこかで行けるように調整に入っております。

詳細日程はあとしばらくお待ち下さいませ。。。

 

→ホームページ Oh là là

 

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