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毛皮修理専門

2009.10.11 Sunday
とある先日。

某県にある、おそらく日本で最初であろう、終戦直後から続く、
毛皮修理専門店を訪問させていただける機会があり、
修理現場や倉庫などを、ワクワク見学させていただきました聞き耳を立てる

私たちは、毛皮については、ほんの微々たる知識と経験しか無いのですが、
現場を初めて見て、とても、とても勉強になりました。

そして、毛皮専用のミシンも、体験させていただきました。
☆ジャ〜ン☆

おお、ゴツイ・・・貫禄・・・。
生まれて初めて見ましたよ!
どうやって縫うんだ?コレ?
どれが針で、どれが押さえだ?

という感じで、いわゆるミシンの概念を越えていました。
けど、どうしてこの形をしているかは、
縫わせていただいてわかりました。
なるほど〜。

職人さんに 「あなた、上手いじゃない、なかなか筋があるじゃない!」と言われ、照れてれちゃう

この経験と、目に焼き付けてきた技を、今後のお直しにも、役立てたいと思います。

もちろん、毛皮職人さんたちの足元にも及びませんので、
特殊な工程は、こちらでもやっていただけるとの事ですので、
毛皮製品のお直しも、一度お持ちくださいね。
今までよりは、成長したお答えができると思います。

この度お世話になりました、T社の職人さん、そして若社長のM様、
大変ありがとうございました。

Oh là là
お勉強

理科の時間

2009.07.17 Friday
セミが鳴いています。
「夏が来たよ〜」って。
あぁ、夏ですねぇ。。。

7月から、しばらく一人でお店番をしています。
ここ3週間くらい、ある一匹のクモが、レジ周りに住み着いています。
虫、大っ嫌いの私。
最初は、見て見ないフリしてました。
すぐどこかに行ってしまうだろうと思って。
だけど、1週間経っても、まだ元気でいるんです。
そんで、日に日に、親しげに、だんだん私との距離が縮まってくるのです。
恐る恐る、凝視してみました。
なんか、丸っこくて、前足をモゾモゾ動かしていて、
黒いカニみたいで、意外にもカワイイ奴に見えてくるではありませんか。
こんな感じ。(イメージです)

そして3週間くらい一緒に過ごして、特に害もないので、そろそろ名前でも付けてみようか、とか思った矢先、
ついに外へ出て行ってしまいました。
ここじゃ、おいしいご飯もなかったから、飢えてたのかな?
いなくなって、ちょっと寂しい気分です。

調べてみたら、
「ハエトリグモ科 アダンソンハエトリ オス」だそうです。
かわいいルックスなので、人気があるそうです。
江戸時代には、このクモを戦わせ、賭博(とばく)に使われたりしたそうです。
人気ものだったんだね。
今まで知らなくてごめん。。。

虫といえば、全部キライだけど、一番身近な(?)ハエ。。。
見れば見るほど、興味が出てきてしまって。。。
スピード早くない?
時速20キロくらい?
ということで、調べてみました。
―――時速は10キロ前後だそうです。
チョウの方が早いんだそうで(時速30キロ前後)・・・。意外。

でもなんでグニョグニョ飛ぶんだろ。
まっすぐ飛べないのかな。
目が回らないのかな、あんな飛び方して。

ということで、調べてみました。
ハエは、1秒間に300回も羽を動かして飛んでいるそうです!
その1秒間に、2〜2.5メートル飛べるというから驚きです!
あんな小さい体なのに・・・!
しかも、あのグニャグニャ飛行は、他の昆虫にはできないそうです。
スポーツ神経、超抜群っ!
人間の動きが、超スローに見えるそうです。
だからいつも追いつけなんだな。

1秒間に300回も羽を動かしながら、微妙に操縦をコントロールして、急旋回・急上昇・ブレーキ・回転、何でもスムーズにできるんだそうです。
ゼロ戦も全くかなわないそうで・・・。
ハエって、実は、超カッコイイのかもしれない・・・。

生き物って、不思議だな・・・。
という、理科の時間でした。

Oh là là
お勉強

平成20年

2008.01.13 Sunday
毎年1月中、
私まだ、ちょっとお正月ボケかも・・・と反省する場面があります。
それは、手書きの日付けを書く時です。
領収証、伝票、日記、手紙などで、新しい年号を書けないんです。
どうしても去年のクセで
「2007年 1月」と書いてしまうんですよね。。。

でもまだ、西暦はすぐ気付くんです。
問題は、平成。
え〜っと、今って平成何年だっけ?
と、何度聞いても覚えられない。

しかし、今年は、平成20年だそうで?
きりがいいから、今年は覚えられそう。
へえ〜、もう20年も経ったんだー?
私、昭和から平成に変わった瞬間、すごい鮮明に覚えてる。
もうあれから20年かぁ。。。
平成は、1989年の、1月8日から始まったのでした!
そうそう、昭和天皇が亡くなったから、平成が始まったんだけど、
お正月が明けるのを待って、発表したんだった。

この「平成」「昭和」などを、
「元号」「和暦」「邦暦」などと呼びますが、
天皇が亡くなられたから変える、というのは、明治以降のことです。
それまでは、些細な理由で、コロコロとすぐ変えていたんですって。
だから、長くても25年くらい、短いと、2〜3年で元号が変わったのです。

私なんて、明治以前の元号、ほとんど知りません。
しいて言えば、応仁 慶応 安政 文禄 くらいでしょうか?
応仁の乱、とかね?

元号が最初にできたのは、
西暦645年、大化の改新から。
もちろんスタートは「大化」で、6年存在しました。
それから始まって、ざっと250くらいの元号があるんです!
いや〜、そんなにあるなんて知らなかった〜。
いくら私が日本人だからって、とても外国人に説明できませんよ〜。

この「元号」=「和暦」は、日本独特の年の数え方ですが、
今や世界共通の数え方といえば「西暦」ですね。

西暦とは、正しくはグレゴリオ暦といって、つまり太陽暦の事です。
西暦=グレゴリオ暦=太陽暦
西暦は、1582年から西洋で使われ始めました。
日本では、1873年から、西暦を使い始めました。

ちなみに、「江戸時代」とか「平安」とか「縄文」は、
ただの歴史の時代分けなだけなので、元号ではありません。

さて、元号以外に、日本にはもう一つ、独特の年の数え方があるのをご存知ですか?
今年は「皇紀2668年」です。
戦前までは、よく使われたそうですが、
今ではもう使わなくなってしまいました。
使っているのは、神道の方々や、右翼の方たちや、日本の文化を守っている団体くらいだそうです。
紀元前、初代の天皇が即位した年から数える方法です。

あの有名な「ゼロ戦」の名前はここからきていて、
ゼロ戦(零戦=れいせん)ができた年が、
昭和15年で、皇紀2600年。
下二ケタを名前に採用するのが決まっていたのです。
「一式〜〜」とかの戦闘機の由来も、そうゆうことです。
ゼロ戦は、心が痛む

まあ、つまり、
平成○○年にコダワルのは右、
西暦にこだわるのは左。
私は左ではないが、西暦の方が便利だと思って生活している一市民です。

いつもの年表に付け足してみました。
今日のことがらは、ピンクの字で書き込んであります。
年号の打ち込み、疲れたーー!
なんだか、男子の名前が並んでいるみたいだなぁ。
↓表をクリック!
表を初めて見る方は、こちらもどうぞ。
<表6>

Oh là là
お勉強

清き一票

2007.12.29 Saturday
私がケチだという話は書きました。

ケチはケチなりに、お金の使い方を考えます。

私はお金持ちではないので、更に慎重です。

その物やサービスに満足した時しか、払いません(払えません)。

昔は、ただ「安いから」の、ただ一つの理由しかありませんでした。
まだ若かったのです。

今、目指しているのは、「清き一票」です。

限りあるお小遣い。
これはすべて、回りまわって私に届いた、貴重な投票権だと思うようにしています。
つまり、私に投票(私を評価)していただいた一票一票(お金)が、私の手元にあって、これをまた投票(払って)いく。
毎日、毎月、これの繰り返しだと思うようにしています。

私がサボれば票は減るし、がんばれば認めてもらえる。

高いか安いかの基準ではなくて、納得できた時に払う。

好きな本は、古本ではなく、新品で買う。
書いた人に1票入れたいから。
応援として。

どこのレストランに行こうか迷ったら、
お気に入りのいつものお店に行く。
大好きなお店に1票入れたいから。

地球温暖化防止、
ゴミを減らしたいから、トレー付きのお菓子やお肉は買わない。
量り売りのお店に1票。

素敵な時間をくれたら1票。

小さな1票が、イコール、人気となって、
大きな流れになるんだと信じたい。
人気の無い物は、いずれ消えていく。
それが、資本主義経済なのだ。

そうやって、今の世の中がある。
何も考えず、好き勝手に生きてきて、こんな世の中になった。

それに気づいても、まだまだ実行できてないんだけど、
意味のあるケチになるのが、私の目標なんです。
なにも考えない1票で、生きていける人も、死んでしまう人もいる。
重い1票です。

応援してもらえるように、オーララもがんばります!
来年も、よろしくお願いします。

あ、ホームページの閲覧も、ワンクリックが1票なんですよ。
今年もそんな皆様に感謝、ありがとうございました!
オーララは、12/30〜1/3まで、休業させていただきます。
どうぞ良いお年を。。。

Oh là là
お勉強

私は日本人

2007.08.31 Friday
外国語を習っている人や、海外滞在の経験がある人、または何度か外国へ旅行にいった事がある人は、もう気づいていると思いますが、
どうして日本人って、日本に誇りを持っていないのか。。。
どうして自分の国の歴史について、恥ずかしいくらい知らないのか。。。
どうしてアジア人の中では偉そうにできるのに、欧米人の前だと小さくなってしまうのか。。。
どうして何か勘違いして、欧米人になりきりたいのか。。。

つまり、日本人なのに、日本を否定している事に、気づいてしまったのです。
このブログを読んでくれてる皆様から、それを強く感じています。
この場は本当は、あまり適切な場では無いと知っていても、
勇気を出して書きたいと思います。
自分にとっても、勉強だと思うのです。
ご感想、ご批判、よろしくお願いいたします。

いつもずっと思っていました。
どうしてもっと、学校で教えてくれなかったのかって。
つまり、本当の日本についての事です。

日本人とは、日本人の心とは?
アメリカとは?
戦争って?宗教って?

外国人に尋ねられて、きちんとした答えができませんでした。
外国人の方が、私より日本について知っている事が衝撃でした。

日本は戦争に負けたこと、
それ以来、アメリカに支配されていること、
日本人としての誇りをアメリカに消されてしまったこと。
------学校で、そういう事を教えてはもらえませんでした。

その理由を話す事は、右翼とゆうレッテルを貼られてしまうので、
大人も教師も話してはくれません。
戦後やっと60年経って、ゆっくりですが、色々な事実が検証されています。
まだまだ胸を張って話す内容ではないけれど、
確実に、知っていかなければいけない事だとも思うのです。

以前、こんな出来事がありました。
もちろん日本国内で、日本人の友人との出来事です。
友人は、体にアレルギー症状が出ていました。
赤くブツブツのシッシンが出て、とてもカユイという症状でした。
長年原因がわからず、いろんな病気を疑っていました。
その頃ちょうど、小麦アレルギーかもという診断を医師から受けた頃で、
とりあえず一度、小麦を食事から抜いているところでした。
なので、一緒に食事をする時は、小麦の入っていない事をいちいち確認しなければいけませんでした。

そして、驚きました。
市販品のほとんどには、なんらかの形で、小麦が必ず入っているのです。
インスタント食品、レトルト食品、加工食品、冷凍食品、飲み物、お酒・・・。
惣菜も、お弁当にも。
外食でも同じです。
ショウユにも、ドレッシングにも、ほとんどの調味料に小麦が入っているのですから、ほとんど食べる物がないのです!
本当に困りました。
信じられない人、一度小麦の入っていない食事を試してみてください。
食べるものがなくなります。
結局友人は、いつも白飯と、刺身と、持参したマイしょう油(特別にお取り寄せした大豆でできたしょう油)を食べるしかありませんでした。

なぜ小麦がこんなに使われているかというと、
戦争に負けたからなんです。
アメリカの輸出産業の支えになるべく、戦後日本はアメリカ小麦を大量に輸入されられたのです。
当時は、小麦粉の事を、メリケン粉とよんでいました。
アメリカン=正しい発音でアメリケン=メリケンです。
学校給食は、率先して主食にパンを導入しました。
パン食に慣れるために、牛乳を毎日飲ませました。
私もそうやって育ってきました。
だから今でも、白飯よりパンが大好きになっています。
思いっきりアメリカ政策に染まった一人です。
今現在も、日本は小麦の大消費国です。

これは、ほんの一例だけれど、いろんなところにアメリカの言われるがまま、つまりGHQの政策が続いているのです。
アメリカって、戦争って、どういう事?
どんどん疑問がふくらんでいきます。
でも、知れば知るほど、人前で話せない事ばかり、人に聞けない事ばかり、右翼なんじゃない?と言われたり。

君が代を歌うと右翼?
日の丸を掲げると右翼?
靖国神社へ行くと右翼?
アメリカを悪く言うと右翼?
戦争について詳しく調べると右翼?
日本を良く思う事が右翼なの?
-----バカらしい。

じゃあ、フランスかぶれで、ベレー帽かぶって、フランスパンを手に持って、トリコロール(赤・白・青の3色)の旗を飾って、
凱旋門(がいせんもん)の付いたTシャツ着てたら、フランスの右翼じゃん。
外国のはカワイイとかって身に付けても、日本のだと右翼なわけ?

右翼は悪くて、反対の左翼なら良いわけ?
って、まず右翼って何?
ヤ○ザが右翼じゃなかったっけ?
私は右翼じゃないし。
-----という事もよくわからないし、これはちゃんと知らなければ!

なので、お勉強です。
しかも、この内容は、これからも続けていきます。
日本に胸をはれるように。
ファッションとは全然関係ないです。
いや、実は確実にリンクしていくのです。。。

Oh là là
お勉強

法事

2007.06.09 Saturday
祖母の百カ日で、法事に行ってきました。
納骨式でした。

納骨とは、読んで字のごとく、
遺骨をお墓に納めることです。
埋葬、埋骨とも言います。

田舎の方では、火葬後すぐに納骨することが多いそうですが、
都会の方では、三十五日〜1年以内にするのが一般的なようです。
おばあちゃんがお墓に入ってしまうので、本当のお別れだと思って、忙しかったのですが行ってきました。

納骨を体験するのは、生まれて初めてだったので、じっくり見てきました。
私もいずれ、最後にはこうやって入れられるのか・・・と思うと、
寂しさよりも、好奇心の方が大きくなってしまって、
写真を撮ったり、住職さんのいろんな説明を熱心に聞いてきました。

法事は、故人を偲ぶことももちろんですが、その場に親戚(や親しい人)が集い、
その縁に感謝したり、お坊さんの教えを聞いて仏教を学ぶためでもあるそうです。

納骨は、骨壷に入れても入れなくても、骨の全部を入れても入れなくても、好きなようで良いようです。
お墓の中は、意外と狭かったのですが、おじいちゃんの隣に入れました。

ところで仏教では、お墓というのは「死者が住む場所」では無いそうです。
自分がこの世に存在しているのは、両親があり、ご先祖さまがあり、ずっと昔のご先祖さまから続いた「生命」の結果です。
そして「生命」は自分の死んだ後も永遠に続く。
その「永遠の生命」、つまり「生命の連続」をカタチに表したものがお墓なのだそうです。
だから、これまでご先祖さまたちがずっと信じてきた宗教・宗派を、簡単に変えてはいけないという事になります。
いけないといっても、今の日本の法律では禁じられてはいません。
でも、自分だけ別のお墓で、縁を切るというのは、続いてきた「生命」続く「生命」にとって、あまり良い事ではないようです。
あぁ、だから日本人は仏教が多いんだなー。

では、死者の霊はどこにいるかというと、「位牌(いはい)」に宿るそうです。
そして仏壇の中(仏壇は、極楽をミニチュアで表した物)、つまり極楽にいるそうです。

ここ最近、仏式結婚式というのが、じわじわと人気だそうです。
結婚式は、教会か神社で行うのが一般的ですが、お寺というのは特に若者に新鮮に映るようです。
人気といっても、まだまだ1%くらいの割り合いみたいですが、
昔は、神式と共に、ご先祖様の仏壇の前で行う仏前結婚式(=仏式)が多かったそうです。
先祖代々の家系を絶やさない、ご先祖様に二人の縁を感謝し、報告するという意味で、仏教徒としては自然かもしれません。
式自体はシンプルで、雅楽や三々九度、指輪交換があり、お経を読んでもらうそうです。
まだ仏式に出席したことが無いので、とても興味深いです。
誰かしないかな〜。

Oh là là
お勉強

どうなる?日本?

2007.05.25 Friday
ん〜〜っ!今後、熱くなりますね!!
先日、5月14日に決まった「国民投票法」!
どうなる!?どうする!?

60年間変わることの無かった、憲法9条を変えるための選挙があるんですよ!
それは、早くても3年後に行われるのです。
皆さん、どうしますか?
私は、まだよくわかってなくて、でも考えなきゃいけない時がきたんだなーと、実感しています。
今は勉強中で、いろんな人の意見を聞いたりしています。

でも、なんで9条を変えないといけないのか?
やっぱりアメリカとの関係です。
日本はアメリカと同盟を結んでいます。
日本の同盟国は、今のところアメリカだけです。
アメリカの同盟国はたくさんあります。
日本、イギリス、カナダ、ヨーロッパの各国(フランスも)、一応中国も。
アメリカはやっぱり大国だ。
同盟国が攻撃されたら、協力しないといけないことになっている。
つまり、日本が攻撃されたら、アメリカ(達)が守ってくれる、という約束がある。
しかし、第2次大戦の後も、アメリカは戦争をいろいろしてきたけれど、
その時の日本はといえば、「金だけ出して、血を流さない」方法しか協力していなかった。
理由はもちろん第9条。
「自衛以外の武力は使わない」。
そもそも、自衛隊を派遣するだけでも意見が分かれるところだけど、そこはギリギリの解釈でやってきました。
世界中から皮肉を言われながらも、けなげに9条を守ってきた日本。
でも、このままずっと9条にしがみついていたら、世界から孤立してしまう日も遠くない。
憲法を決めた60年前とは、世界の情勢もいろいろ変わっているし、今後はいろんな問題が出てくるそうです。
資源の乏しい日本が、石油を分けてもらえなくなったり、経済的にいやがらせさせられたり・・・?
自分は守ってもらってるのに、全然協力できてない----時代は流れていくのに、そんなんで良いのか?
というのが、憲法改正の一つの理由です。
なんかわかる気がする・・・。

もう一つの理由は、アメリカの都合の良いように、アメリカに使われやすいように、9条を変えておく、というのです。
アメリカ様には頭が上がらないようですね。
でも、こっちの理由は、ちょっと賛成したくない・・・。

で、今一番問題になっているのが、その「集団的自衛権」というものです。
仲間(同盟国)が攻撃された時に協力するのを自衛と見るかどうか?
仲間が戦っている時に参戦したり物資を送ることは武力使用というのか?
集団=仲間、自衛=協力、は、しようじゃないか、という事です。
戦争をしよう、というのとは違うみたいですが・・・。
どちらにしても(憲法を変えても変えなくても)、何かが変わる気がします。
皆さんは、どう考えますか?


5月3日のブログでは、

>でも現実に、そのうち戦争が起きる可能性は、とても高い。
>そうなったら、どうなる?
>自衛隊だけの少人数で、どうするの?
>戦う訓練を受けてない自衛隊だけで、勝てる?
>というか、戦力を持ってないんだから、戦えない。
>つまり、やられっぱなし、殺されっぱなし。
>みんな死ぬ。
>それが結果だね、今の憲法だと。

と書きましたが、実際日本の自衛隊は、アジアでは一番強いそうです。
なんでも日本は、「イージス艦」というのを5つも持っているそうで・・・。
正確には、「イージス」というコンピューター・システムを載せた船の事で、戦闘用ではなく、護りのための船だそうです。
アメリカには73隻あって、向かってくるミサイルから飛行機、潜水艦までも迎え撃つことができるんだそうです。
敵なしの、怖いものなしの装置なんだそうです。
例えば、日本の面積の25倍、人口10倍の中国の全海軍にも、このイージス艦1つで勝てるくらい強いそうです。
戦争になる前に勝っているくらい?
だから強いって・・・戦争した事もないのに?と思うのですが、
事実、強いらしい。世界でもそれは認められているらしい。
だから安心、で終わるんじゃなくて、これからもたくさん考えなきゃいけない事が、私たちにはある。
熱いですっ!

Oh là là
お勉強

地震

2007.05.08 Tuesday
昨日の記事にチラッと書いた「関東大地震対策強化」について補足します。

日本に住んでいれば、いつか大地震に遭遇する可能性は大です。
特に東京(関東)となれば、もういつ来てもおかしくないのです。
コワ〜イです。
私なんて、大が付くほど怖がりで、でも、コワイばっかり言っていてもよけいコワイだけなので、
立ち向かう事にしました。

まず、ヾ愿貘臙録未箸浪燭覆里?
そして、△發卦きたらどうなるか?
2甬遒竜録はどうなってるのか?そこにヒントはないか?
い修了、その後をどうするか?


からサラッと見てみます。
・1923年(大正12)9月1日11時58分(周期で100年以内に次が来る可能性大)
・東京・神奈川を中心とした関東地方
・当時の機械では測定不可の震度(震度7の記録有り)
・津波・大火事・竜巻のような旋風の被害
・死者は10万人以上(12年前の阪神淡路は6千人弱)
・多くの人が、火事による死亡

とてもわかりやすい資料を見つけたので、画像お借りしました。

鹿島建設株式会社
特集:関東大震災を知る
(本も出ています)

これによると、ここ高円寺は、武蔵野台地のため、地盤は固いようで、
震度的には、4〜5強くらいですみそうだ。
でも、東京(都会)の地震の怖いところは、火事なので、揺れが弱くてもあなどってはいけない。

△發卦きたらどうなるか?
自分がどこにいるかで、被害は大きく変わる。
・東京の下町、東の地区は、地盤がゆるく液状化する。
 一番いたくない場所です。
・もう少し東よりの都心は、人が多すぎて、かなりのパニックが予想される。
 できれば避けたい場所。
・高円寺より西の地区。
 都内でもかなり安全な場所だが、駅周辺は飲食店も多く道も狭いため、早めの避難が安全。

い海了をふまえて、頭の中でシュミレーションをしてみる。
私の場合、杉並区にいることが一番多いので、その場合・・・
・強い揺れは、立っていられないくらいらしい。とにかく頭を守る。
 私のベッド横には、ヘルメットと靴が用意してある。
 ガラスは全壊して床に散らばるので、逃げるためには靴、しかもすぐ履けて脱げにくいものが良い。
 夜の場合は、停電して真っ暗です。
・揺れが収まったら、とにかく外へ。すぐに余震が来ます。
 火の元点検はもちろんです。
 持ち物は、携帯と猫です。
 携帯は、夜のライト代わりにもなります。
 普段からフル充電しておきましょう。
 できればブレーカーも落とす。
・外に出たら、近所の様子を確認して、助けが必要な人がいたら手伝う。
・問題なければ、とりあえず近くの避難所へ。
 震源地・被害状況など情報を得て、それに従う。
・大丈夫そうなら、家に戻り、貴重品や上着など、最低限の持ち物を取りに行く。
 この時活躍するのが、「非常持ち出し袋」です。
 リュックなど、両手が使えるバッグが最適です。
 最初の避難時に持ち出しても良いでしょう(冷静であれば)。
・いつ近くのガス漏れが、火事に変わるかわからないので、早めに立ち去る。
・ここからは、歩きます。
 ここからだと、北へ北へ歩きます。
 できるだけ大きい道に沿って歩きます。
 関東大震災の時、一番被害が多かった場所=墨田区の「陸軍被服廠跡」は3万坪以上(東京ドームは1万4千坪)もあったのに、
 全員焼け死んだ=より広いところへ行くしかない。
・数日後、避難解除になったら、家に戻ってみる。
・もし倒壊や火災をまぬがれてたとしても、室内はメチャクチャになっているでしょう。
 窓は割れて、冬なら寒いし、ガスも電気も通ってない。
 そこで、アウトドアの経験が生きます。
 避難所は、本当に家を失った人たちの為に譲って、家を片付けながら公園で野宿です。
 みんな心が沈んでいます。
 火を焚いて、心細さをなくしましょう。
 食料は、しばらくは避難所に行けばもらえますが、1週間分くらいの準備はしておきたいところです。

以上は、無事でいれた時の想像です。
でも、建物の下敷きになってしまったり、無事じゃない事もあるかもしれないし、
災害の準備なんてめんどくさいし、なったらなったでいいじゃん、誰か助けてくれるでしょ、
なんて思ったりして、今までは全然準備してなかったのです。
しかし、皆で話し合っていると、地震の被害者は多くがお年寄りで、私たち若者は、ほぼ逃げる事ができる事がわかってきて・・・
災害時に、救助が来るのは意外と遅い事もわかってきました。
そこで!
周りには、助けを必要とする人たちがいるんだから、若い私たちは助かったら動かなければ!
という事になったのです。
それには日頃の準備と訓練。
逃げ道や携帯の活用法もしっかりしないと。
この携帯電話というものは、非常時にはかなり役立つと思われます。
ライトでしょ、ラジオでしょ、テレビに情報交換・・・
建物の下敷きになったら、笛が良いというけれど、携帯の音も良いそうです。

と、書いてたら、今地震がありました!
すかさず訓練。
携帯を持って逃げました!
--震度2でした。

いつどこにいても、「今地震が来たらどうするか?」と想像力を働かせる事が、いざという時に役立ちます。
お風呂に入ってる時、電車に乗ってる時、仕事中・・・。
いろんな想像をしていたら、怖いとかがなくなってきました。
いつでも来てみろォ〜と、興奮してきました。
単純な人です・・・

肝心の
ヾ愿貘臙録未箸浪燭覆里?
 は、もうすぐ来る、最大級の地震です。
 多分私が寿命まで生きれば、くるでしょう。

その時何が必要で、どう準備すればいいか・・・
いろいろ調べて備えましょう。
ここに書いた事はほんの一例です。
特に独り暮らしの若い方々、そう簡単に死なないので、
日頃からご近所さんと仲良くするとか、友達同士で確認しとくとかしましょう。
備えあれば憂いなし!です。

※この記事を最後まで読んでくれたあなたは、もう怖くないでしょう。
なので、とっても怖〜い物をプレゼントします。
関東大震災の時の貴重な音源です。
「その時」は、こんな感じです。目を閉じて大音量で聞いてね!
(心臓の弱い方はご遠慮ください)
右の星印をクリックしてね→
©東京ノート


Oh là là
お勉強

今日は憲法記念日

2007.05.03 Thursday
今日はゴールデンウィークの真っ只中、憲法記念日です。
皆様、いかがお過ごしですか?
建国記念日は2月11日で、憲法公布の11月3日が文化の日です、ややこしいね。

え〜、整理してみると、
2月11日 建国記念日
  日本に初めての天皇というものができた日。
  それは、紀元前660年(相当な昔ですね)の旧暦1月1日で、
  現代の2月11日にあたるらしい。
  初代天皇は、神武天皇でした。
  つまり、天皇即位の日=日本という国ができた日です。
  ちなみにフランスの建国記念日は7月14日で、国民の祝日です。
  フランス革命が始まった日となっています。

11月3日 文化の日
  今の私たちの日本国憲法が発表された日です。
  その日とは、戦後すぐの1946年(昭和21年)11月3日です。
  戦前の大日本国憲法の内容を新しく書き換えて
  公布された日となっています。

5月3日 憲法記念日
  発表された憲法の実行をスタートさせた日です。
  公布から6ヶ月後の、1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。
  それから60年間、ずっと同じ憲法で私たちは生活しています。

この3つの日は、すべて祝日になっているけど、
あんまり意味わかってなかったので、まとめてみました。

さて、その日本の憲法。
第9条が、ずっと問題になっていますよね。
頭悪い私は、考えても考えても、グルグル回って、よくわからなくなってしまって、ちょっとムズカシイ話です。
また来年のこの日にも考えてみたいので、今年の気分をメモしておきます。


まず、「第9条とは何なんだ?」
日本国憲法は、前文+11章でできています。
章は全部で103条に分かれています。
第1章は1条〜8条でできていて、天皇についてが書かれています。
次の第2章は、9条だけで、戦争の放棄について書かれています。
3章は10〜40条・・・・と、11章まであります。

問題の第9条、つまり第2章の内容とは―――

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
 国の交戦権は、これを認めない。

この2つが書かれています。
この内容をどう解釈するか、ひょっとして改正した方がいいのではないか、いや絶対変えてはいけない、などが問題になっています。

私が小学生の頃、授業でこの憲法を知った時の率直な感想は、今でも覚えています。
戦争は怖い、人殺しとか、空襲とか原爆とかは怖い。
戦争になったらやだなぁ。
でも、この法律を持ってる日本はすごい。
もう戦争はしないって誓ってるなんて、すごい。
なんかホッとした。
戦争については、もう考えなくていいんだ。
もう怖いことを心配しなくていいんだ。
ずっと平和なんだから、戦争の事なんて考えなくていいんだ。

それっきり、戦争についてなんて考えないことにした。
日本は安全で安心!
好きなもの食べて、好きな服を着て、自由に生きれる、ってずっと思ってた。
ほんとアホです。

で、今思うのは、
9条は変えたほうがいいんじゃないかなーと。
すぐにじゃなくても、変えれるものなら変えた方が・・・
もう、そろそろそういう時期にきてるんじゃないかな、と。

でも、多分変わらないと思う。
今のこのアイマイさが、日本人ぽいと思うから。
良い意味でですよ。
そして唯一の原爆被害国としては、やはり戦争放棄は大切な約束だと思うから。

でももし変わったとしても、だからって戦争がおきるわけではないし、もちろん進んで戦争はしてはいけない。

でも現実に、そのうち戦争が起きる可能性は、とても高い。
そうなったら、どうなる?
自衛隊だけの少人数で、どうするの?
戦う訓練を受けてない自衛隊だけで、勝てる?
というか、戦力を持ってないんだから、戦えない。
つまり、やられっぱなし、殺されっぱなし。
みんな死ぬ。
それが結果だね、今の憲法だと。

戦争というのはどうやって始まるかというと、
交戦権のある国が、相手の国の合意無しに、一方的にできるものらしい。
交戦権というのは、すべての独立国が持っている。
今の日本には交戦権が無い。
つまり、独立国じゃないって事になる。
つまりアメリカが戦争になったら、協力することになるし、
アメリカの基地がある日本は、攻撃される。
日本が戦争をするんじゃなくて、アメリカがしてるだけなのに、
巻き込まれてしまうのです。
あんまりじゃない?
戦争放棄の意味ないじゃん!
で、やられっぱなしでしょ?
アメリカの決めた憲法で、都合のいいようにされちゃって。
日本かわいそう。

でも、負けたんだから仕方ないか。。。

・・・とグルグルまわってきたので、今日はここで終わりにします。
1年後には、もっと意見を言えるようになっていたいです。
・・もうちょっと、きちんと学校で教えてほしかったな・・


Oh là là
お勉強

スーサイド・アタック

2007.04.18 Wednesday
日本は、第二次世界大戦を最後に、戦争をしていません。
その最後の戦争の結果、今わたしたちが生きている時代があるのです。

たくさんの人たちが犠牲になったけれど、
日本は、最後まで本当にがんばったと思うんだ。
戦争は、しない方がいいに決まってるけど、
その頃の世界情勢だとどうしても戦争は不可欠な状況で、
もしその時戦争してなかったとしても、
遅かれ早かれ、する事になったはず。
戦争をしてなかったら、植民地になって、独立のための戦争が今でもあったかもしれない。。。

戦争を、美化するつもりは全く無いけれど、
その時代に命を張って戦ってくれた人たちを、憎んだりなんてしたくない。
こんな事書いて、右翼なんじゃ無い?とか、もし言われてもいい。
戦争について、本当のことが知りたかっただけなんだ。

火垂るの墓とか、はだしのゲンとか、ガラスのうさぎとか、
東京大空襲とか、広島・長崎の原爆とかは、学校で教えてもらったから、
そういう民間の、つらい、苦しい気持ちは知ってる。
けど、戦艦大和とか、神風特攻隊とか、戦った人たちの話はあんまり教えてもらえなかった。
本当は、どんな気持ちで戦ってたの?

いろんな資料を読むにつれて、わかった事。
それは、ほとんどの人が、平和を望んでた・・・
戦争の無い時代に生まれたかった・・・
美しい日本を守りたかった・・・
誰も、好き好んで死ににいくつもりじゃなかった、って事。

当時の日本の軍隊は、海軍と陸軍だけだった事も全然学校で習わなかったなぁ。
特攻隊は、空軍だと思ってた。
でも、日本には空軍というのは無くて、
実際は、飛行機を所有していたのは海軍だったんだって!
知らなかった〜。

第二次世界大戦の前までは、飛行機というのはまだそんなに主役じゃなくて、
世界を相手にするには、海から攻めるのがあたりまえだった時代。
いかに強い舟(戦艦)があるかが強さの見せ所で、
海に囲まれた国、イギリスと日本の海軍は、本当に強かった。
日本の海軍は、東南アジアをどんどん攻めていって、ついにはロシアにも勝ってしまった!
おぉ〜すごい!
次は世界へ、と、めちゃくちゃ調子にのっていた時に、第二次大戦に突入してしまったんだよね。。。

こんなに勝ちまくってたから、日本国民も絶対また勝つだろうと、ノリノリでイケイケになるのもわかる気がする。
歴史はじまって以来の、世界との腕試しだもんね。
♪勝ってくるぞと 勇ましく〜
とか歌いながら、盛り上がってた。
ここで、「やっぱり欧米は強そうだから、戦争はしません」と政府が言ったとしても、
誰も聞かないくらいの勢いだったって、想像できる。

健康で若い男子は、軍隊に入ってカッコイイとこ見せたい!と思ったりしたのかもしれない。
海軍は、格好良かった。
@江田島にて

真っ白の制服を着て、大きな軍艦に乗って、世界の海で戦うんだ。
・・・しかし現実は、海軍に入るには、東大より難しい試験と、すべての身体においての健康が必要なんです!
じゃあ、仕方ない・・・陸軍には、並の能力があれば、誰でも入れる。
いわゆる「赤紙」というのも、つまり、陸軍に徴兵という意味だったんだね。

さて、晴れて海軍の試験に合格した若者は、厳しいキビシイ訓練の待っている兵学校に入ります。寮です。
生活から規則、勉強も訓練も先輩のイジメも、とにかく厳しくて、
14歳とかで入ってくるから、つらくて途中で脱走する人も多かったそう。。。
でも、4年間はがんばらないと!
  
※3枚の写真は、去年江田島の旧兵学校へ行った時のものです。


しかし、いざ戦争が始まってみると、敵は飛行機(戦闘機)でやってくるではないか!
日本も急いで飛行機を増産して、海軍から航空兵をたくさん育てた。
これがよく言う「予科練(=海軍飛行予科練習生)」。
アメリカは遠い!
日本から飛行機で行ったのでは、時間も燃料もかかる。
なので、飛行機をたくさん積めて、滑走路のある巨大な船(空母=航空母艦)で日本を離れ、海の上から戦闘機は出発するのです。
つまり飛行機は、海軍の物だったんだ。

そして、初めの勢いとは裏腹に、どんどん戦局が悪くなっていく・・・。
燃料が無い・飛行機が無い・・・
ついに特攻隊が編成されることになってしまった。
古い、ボロい戦闘機に、片道だけの燃料しか入れてもらえず、大きな爆弾をくっつけられて、「死んで来い!」と言われたのです!
アメリカの舟(=軍艦)に体当たりして来い!と・・・。
お前は動くミサイルだ!必ず命中して来い!と・・・。
悲しすぎる・・・。
@靖国神社「遊就館」にて

上官たちは、何もいじわるで言ってたんじゃなくて、仕方なかったんだ・・・。
本当は、誰も死なせたくなかった・・・。

特攻に行く事は、基本的に志願制なんだけど、ほとんど全員が志願したそう。
本心は行きたくなくても、軍人になった以上は、義務みたいなものなのかもしれない。。。
そして最後に、大切な人と過ごす時間がもらえます!
外出許可です。
でも・・・特攻と言うのは、軍の最高機密なので、誰にも言えないんです・・・特攻に行くという事を・・・。
切ない・・・。
@靖国神社にて

死ぬ・・・明日死ぬ・・・
もう、ウツとかノイローゼとか、精神安定剤欲しいとか言ってるレベルじゃ無く、
特攻隊の人たちは皆、誰よりも清々しく、微笑みさえ浮かべて飛行機に乗り込んでいったそうなんです。
どうして、そんな強いの!?
多分それは、何度も書いているけど、大切な人を想う気持ちしかなかったと思う。
自分が皆のためにできることはコレだと、覚悟を決めた。
覚悟が決まるまでは・・・やっぱり夜な夜な泣いていたそうです。。。

たくさんの人が、特攻隊で死んでいきました。。。
たった1年足らずの間で、1万人以上の、20歳前後の若者ばかり。。。
もう海軍だけでは人手が足りないから、
海軍の進級制度を短縮したり、入試の最少年齢を低くしたり、赤紙でも海軍に入れるようにしたりして。
陸軍までも特攻隊を作った。
飛行機の数は少ないけれど、日本が勝つにはそうするしか方法がなかったのですね。
なので、最後の方は、飛行機の操縦が上手くなる前の少年ばかりが特攻隊に行くしかないくらい、
つまり、敵艦に当たるかもわからないくらいで、はっきり言って悲惨でした。。。

※特攻は、飛行機だけじゃなく、潜水艦や、ボートや、ロケットなど、いろんな特攻作戦があって、すべてが片道切符でした。

外国の人に、カミカゼの話をしたら、
「あ〜、Suicide attack(=自爆テロ)のことネ」と言われてしまった!
「自殺でしょう?」って。
どうやら、日本人にしか、この気持ちは理解できないようで・・・。


松本零士のマンガでは、日の丸の鉢巻を、おでこにキュッと縛った若者が出てきます。
日の丸・・・つまり日本です。
日本を守る事が、大切な人を守る事でもあり、
未来の美しい日本を希望する事でもあり、
自分が死んでも、残った者が夢を続けていってくれる希望でもあった。
それを知らずに、のほほ〜んと生きてた私が恥ずかしい。
未来は私たちが作っていかないといけないのに、私全然、何にもやってないよ。

だから、彼らの生き方(死に方)を見ていると、もっともっといろんな事にがんばれる気がするんです。。。
ありがとう。。。

※特攻隊についてを語ると、私は話が長くなりますっ(照っ)。
 また書きます。

Oh là là
お勉強