洋服修理業という私の仕事
2012.03.24 Saturday
ふとした時に、考えることがよくある。
自分のやっている仕事についてを。
今まで生きてきた中で、たくさんの種類の仕事をしてきたけど、
2001年から独立して、一人でやってきた仕事。
フランスから古い洋服や雑貨を買い付けてきて、修復してお店に並べて、次の使い手さんに渡すという、古着屋という仕事。
フランスと日本を繋ぐ、言語や文化交流のお手伝いという仕事。
この二つも大好きで仕方ないけれど、今はご周知のとおり、表向きは一旦幕を閉じてしまいました。
だけど、洋服を修理する、という仕事だけは、ありがたいことに今も続いています。
この、洋服を修理する仕事について、考えるのです。
実は私は、物理的な「物」への執着が全くないです。
物をコレクションしたり、いつも磨いてピカピカにしたり、ということにも興味がありません。
万が一、災害で物を失ったとしても、何の後悔もしないと思います。
というと、がっかりされてしまうかもしれませんね(笑)。
多分私は、目に見える「物」に執着しない代わりに、「物の中のモノ」が愛おしいのかもしれません。
随分前、古着屋さんだった時にもそんな記事を書いたのですが、
やっぱりその気持ちは今もずっと変わりません。
物の中にある、物自体の存在/歴史/使い手の想い・・・
それは目に見えなくても、形がなくなっても、ずっと心の中に永遠に残るモノだから・・・
それを大切にしたいなって思うのです。
お直しをしていて、いつも感じます。
お客様の気持ちを。
好きな服をもっと長く着たい、もう少しかわいく・かっこよくしたい、
着てなかった服・譲り受けた服をよみがえらせて、また着たい、
まだまだ捨てるにはもったいないetc.....
つまりはすべて「愛着」という気持ちが、洋服を通して伝わってくるのです。
私はいつも、服のお直し屋というよりは、お医者さんになったような気持ちがしています。
「今日はどんな症状ですか?」
「普段は足をどちらで組みますか?あぁ、だからこちらの膝だけ弱ってるよね」とか。
「これはどんなアイテムと組み合わせることが多いですか?」
「こういう方法もあるけど、それならこっちの方がお客様には向いているよね」とか。
「これからはこういうお手入れにしたら、もっと長持ちしますよ」とか。
服を直しているというより、お客様の気持ちを治している仕事なんだなぁ、と実感するのです。
本当は、自分のやっている仕事に、自信を持てたことが一度もなくて、
それで悩んだりしたことは山ほどあるけれど、
私にできることも、少しはあるんだなぁ、とも思いながら、
今日も噛み締めて仕事をしました。
事情があり、戸籍上は他人ですが、血の繋がった実の祖父母の存在を数年前に知りました。
祖父は、戦中は内科医だったそうですが戦死したそうです。
祖母は戦中、内科の看護師でしたが、戦後は日本の精神科医療を看護面から切り開いた人物という事実も知りました。
祖母の著書をいくつか読んだ時は、祖母の偉大さと強さと優しさを感じ、自分が恥ずかしくなりました。
だけど今になって、私にもあの祖父母の血が流れているのかなぁ、洋服のお医者さんだ(笑)、と前向きに自分を励ましてみたりしています。
よく「洋服バカ」とお褒めの言葉をいただいたりして、もちろん洋服も大好きですが、それよりも何よりも「人が好き」なんです。
洋服と一緒に、その洋服を着る人の想いを感じられる仕事。
私の技術なんてまだまだまだ、だし、いつも迷いや不安ばかりで落ち込むことも沢山あるけれど、
お客様の笑顔が見れるなら・・・。
これからも、この「洋服修理」という仕事に誇りを持とうって思っています。
ね、いいでしょ?
自分のやっている仕事についてを。
今まで生きてきた中で、たくさんの種類の仕事をしてきたけど、
2001年から独立して、一人でやってきた仕事。
フランスから古い洋服や雑貨を買い付けてきて、修復してお店に並べて、次の使い手さんに渡すという、古着屋という仕事。
フランスと日本を繋ぐ、言語や文化交流のお手伝いという仕事。
この二つも大好きで仕方ないけれど、今はご周知のとおり、表向きは一旦幕を閉じてしまいました。
だけど、洋服を修理する、という仕事だけは、ありがたいことに今も続いています。
この、洋服を修理する仕事について、考えるのです。
実は私は、物理的な「物」への執着が全くないです。
物をコレクションしたり、いつも磨いてピカピカにしたり、ということにも興味がありません。
万が一、災害で物を失ったとしても、何の後悔もしないと思います。
というと、がっかりされてしまうかもしれませんね(笑)。
多分私は、目に見える「物」に執着しない代わりに、「物の中のモノ」が愛おしいのかもしれません。
随分前、古着屋さんだった時にもそんな記事を書いたのですが、
やっぱりその気持ちは今もずっと変わりません。
物の中にある、物自体の存在/歴史/使い手の想い・・・
それは目に見えなくても、形がなくなっても、ずっと心の中に永遠に残るモノだから・・・
それを大切にしたいなって思うのです。
お直しをしていて、いつも感じます。
お客様の気持ちを。
好きな服をもっと長く着たい、もう少しかわいく・かっこよくしたい、
着てなかった服・譲り受けた服をよみがえらせて、また着たい、
まだまだ捨てるにはもったいないetc.....
つまりはすべて「愛着」という気持ちが、洋服を通して伝わってくるのです。
私はいつも、服のお直し屋というよりは、お医者さんになったような気持ちがしています。
「今日はどんな症状ですか?」
「普段は足をどちらで組みますか?あぁ、だからこちらの膝だけ弱ってるよね」とか。
「これはどんなアイテムと組み合わせることが多いですか?」
「こういう方法もあるけど、それならこっちの方がお客様には向いているよね」とか。
「これからはこういうお手入れにしたら、もっと長持ちしますよ」とか。
服を直しているというより、お客様の気持ちを治している仕事なんだなぁ、と実感するのです。
本当は、自分のやっている仕事に、自信を持てたことが一度もなくて、
それで悩んだりしたことは山ほどあるけれど、
私にできることも、少しはあるんだなぁ、とも思いながら、
今日も噛み締めて仕事をしました。
事情があり、戸籍上は他人ですが、血の繋がった実の祖父母の存在を数年前に知りました。
祖父は、戦中は内科医だったそうですが戦死したそうです。
祖母は戦中、内科の看護師でしたが、戦後は日本の精神科医療を看護面から切り開いた人物という事実も知りました。
祖母の著書をいくつか読んだ時は、祖母の偉大さと強さと優しさを感じ、自分が恥ずかしくなりました。
だけど今になって、私にもあの祖父母の血が流れているのかなぁ、洋服のお医者さんだ(笑)、と前向きに自分を励ましてみたりしています。
よく「洋服バカ」とお褒めの言葉をいただいたりして、もちろん洋服も大好きですが、それよりも何よりも「人が好き」なんです。
洋服と一緒に、その洋服を着る人の想いを感じられる仕事。
私の技術なんてまだまだまだ、だし、いつも迷いや不安ばかりで落ち込むことも沢山あるけれど、
お客様の笑顔が見れるなら・・・。
これからも、この「洋服修理」という仕事に誇りを持とうって思っています。
ね、いいでしょ?
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